gymnopedie

| LOVE | TOPIC | LOG | LINK | ME | OTHER |
#スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

2011.11.25 Friday ... - / -
#振り向いて漸く気づく(果たしてそれは愚か)
1年間などといったロングスパンでの反省が苦手だ。
何かとても大切なことを忘れているような気がする。それくらいならはじめから何もしないほうがいいように思う。すべてが大切だったからだ。すべてを拾い集めて書き尽くすことなどできない。
でも、書かなければ本当に忘れてしまう。最近時間について考えることがとても多くて、私は腕の動きを早める時計を、どうすることもできずに眺めて、泣く。全部全部覚えていたいのに。全部全部こんなにも愛しているのに、消えていく。私の記憶中枢から、ぽろりぽろりと零れ落ちていく確信にも似た予感。それが悲しい。それが愛しい。
素敵な出会いをたくさんした。いままでで一番悲しいさよならをした。
恋をした。恋を失った。
泣いた、叫んだ、怒った、悩んだ、それを上回るくらい、笑った。
吹いて聴いて読んで書いて。
きっとこれからも何も変わらなくて、どれも特別なんかじゃなくて、所謂日常というものでそれ以上でもそれ以下でもなく、だからこそどれもがとっておき。
フォーラムにせよ読書感想文にせよ、私一人の力では何もできなかった。
みんながいたから、みんながいてくれるから、私はそれだけで何度でも立ちあがれるし、涙を引っ込められる。生きるために泣くこともあるのだと、教えてくれたのは誰だっただろう。
去年の今日、「今年の目標は可愛さと基本的生活習慣を身に着けること」と書いている。どちらもまったく達成できていない。それを問題だと思わないのが問題なのだけど。
自分が変わったのがわかる。きっと来年の私がこの文章を読んでも、何考えてたんだこいつ、と思うに違いない。それでいいのだろう。生きている限り変わり続けるのだ。
できることなら、その日を笑顔で迎えたいなあ、なんていうのは甘い考えだろうか。大人になんかなりたくないけれど、受け入れたい夢があるのだ。
魔法使いになるための、一歩ならば。私はいくらでも、頑張れるし、頑張らなくてはならない。
それが今年の目標。

続きは、innigのほうからいくつか去年書いたものをピックアップ。どれもが欺瞞でどれもが本音。活字から愛し返してもらえるようになりたいなあ。
続きを読む >>
2008.01.01 Tuesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#趣味をめぐる冒険
趣味と言うことばの定義づけから始めてみたい。
まず岩波国語辞典第二版(1963年4月発行)によれば
「趣味:1.物事から感じ取られるおもむき。情趣。2.物事の味わいを感じ取れる能力。(それに基づく)好み。3.専門としてでなく、楽しみとして愛好する事柄。」
次いで三省堂国語辞典第五版(2003年1月発行)。
「趣味:1.そのものにふくまれる味わい・おもしろみ。2.〔実用や利益などを考えずに〕好きでしているものごと。3.〔選んだものごとを通して知られる〕その人の好みの傾向。」
最後にベネッセ表現・読解国語辞典(2003年5月発行)によると
「趣味:1.物事が持っているおもしろみ。深い味わい。2.物事のおもしろみや趣を味わえる感覚や能力。3.(専門や職種ではなく)楽しみとしてする事柄。」
とある。
私が日常的に愛用しているのはベネッセのものなのだが、今回興味深く見たのは三省堂の2番目の定義である。
私は至るところで人生の三大構成要素は活字、音楽、惰眠と言っているのだが、2番目の定義に則ってそれがそのまま趣味というジャンルに当てはまるのか、と自問してみると、明らかに違うのだ。
私は小説から新書まで大量に本を読む。しかも、読むというより食べる、と言った方が近い方法で。その行為は、既に趣味とは呼べない。活字を摂取しなければ、私は生きていけないのだ。好き、嫌いに関わらず活字がなければ私は飢える。どうしようもない枯渇を感じ、その枯渇を埋め合わせるために仕方なく自分で活字を生み出す。以前某所でも記しているが、私は文章を書くのは嫌いだし苦手だ。書かなければ生きていけないから、必要に迫られて書く。生きるため、読むし、書く。それを趣味と呼べるのか。
睡眠についてはより顕著だ。生命維持活動のために必要な行為であることは周知の事実である。
音楽は、少し異なるかもしれない。恐らく、音楽を失っても私は失われない。しかし、それはごく狭い範囲で音楽を捉えた場合だけだ。世界は音楽で満ちている。キーボードを叩く音、車の排気音、そして沈黙すらも音楽になりうる可能性を秘めている。世界=音楽という図式が成り立ってしまうのなら、音楽が失われてしまえば私までも失われる。だから私たちは音楽に寄り縋る。伊坂幸太郎の『死神の精度』という小説中ではミュージックが人間の生み出す最も(そして唯一の)美しいものである、となっていた。
生きる、という明確な利益を求めて行う行為は、趣味とは言えないような気がする。
しかしながら、音楽の論法でいけばあらゆる芸術は世界で有り得る。それは多くの場合で趣味と言われるものを包括する。
私は世界が好きだ。また、その世界に生きることを無条件に愛している。
つまりは、私の「趣味」は、「生きること」そのものになるのかもしれない。
2007.11.04 Sunday ... comments(0) / trackbacks(0)
#語るに落ちる私めのはなし
知り合いのブログで面白そうだったので

1. 他人によく意外だと言われる自分の性質は?
うーん漫画をよく読むこと?
純文学系に見られているらしい
血液型を言うと大抵意外だと言われますが性質ではない気がします

2. 今行きたい学部は?そこで何をしたい?
結局文学部に落ち着きました
社会学とも法学とも関わりはあるのですが
日本国憲法(主に第九条)を文学的に読む、というまったくマージンの得られそうにない研究をするつもりです

3. 1年間自由な時間があれば何をする?
時間だけあっても何もできません
図書館に入り浸るくらい?閉館日はどうしようもないよね…
お金の心配をしなくていいのなら迷わず旅に出ます

4. 好きなアルファベットは?
q
かわいい!小文字がよいですね
スペリングではhippo(カバの口語),sneeze(くしゃみ),yawn(あくび),hiccup(しゃっくり)が好きです

5. 最近一番悩んだ買い物は?それは当たりだった?
あまり買い物に悩みません
即決型
その上本以外あまり買わないので買い物に失敗したという経験が極端に少ない

6. あまり他人に薦めたくない本やCDは?
これは主観の問題だからね
つまらないとかくだらないとかでお薦めしたくないものは特にないです
みんなに読まれたらいやだな、っていうあたしのとっておきは江國香織の「ホリー・ガーデン」ですが

7. いま部屋にある一番気に入ってるものは?
Victorのオーディオ
パソコンはなければないで平気だけれどあの子がいなくなったらやっていけない
NO MUSIC NO LIFE!

8. 口に出した語感が好きなことばは?
「ジムノペディ」この滑稽で素っ頓狂な感じが気に入っている
あとは「彼もしくは彼女」とか「〜かしら」といった言い回しを多用しがちです
結構口語的な話し方をする方なので二人称は「君」が多い
そのくせ一人称はひたすらに「あたし」

9. 欲しい才能は?
才能、って難しい
飽く迄才能であってそれは花開く瞬間まで実力にはならないわけですから
自分が今持ち合わせている才能を最大限に引き出せる才能がほしいとは常々思っていますが
多分求められている意味ならリズムを掴まえる才能がせめてもう少しあったらな、ってところかな
文才はいくらあっても困るものではありません

10. 日頃あまり聞けないけど聞いてみたい質問は?
あなたにとって「死(あるいは生)」とはなんですか?
私にとっては、それらは私自身です
2007.09.11 Tuesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#汝の隣を愛せよ
愛して、愛されて。笑って、泣いて。怒って、憎んで。
それでも、また、顔を上げて、歩き出す。
躓いて、泥だらけになって、それでも進んで、愚直に、進み続けて。
それが生きるということだ。すべてのいのちに、その権利がある。

理不尽に消された、そして今も消され続けるいのちの灯火のために、私たちは祈る。
祈らねば、ならない。生きているのだから。
歌いましょう、アリアを。翻しましょう、反旗を。
この美しい国が持つ唯一無二のレクイエム、日本国憲法第九条。
所詮、そもそもが現実との折り合いなど考えていない馬鹿馬鹿しい理想論なのだ。
この灰色の世界で、純真無垢な赤子が生きていくことは難しい、しかし62年、辛うじて呼吸を続けた彼(もしくは彼女)を、またそれを支えてきた人々を、なぜ否定しようとする。
まっさらなまま。まっすぐに、まっとうにひっそりと息づいていた。
本質から目を逸らす多くの大人より、子どもはよほど素直で敏感だ。
軍歌は要らない。銃声も欲しくない。だから、泣いている。
今、大きな声で泣いている。

ひとつのいのちなんてちっぽけだ。
でも、ひとつが集まれば、どうだろう。
いつか泣き声も、届くだろうか。まだ、届くと信じてもいいだろうか。
いつか祈りが、叶うのだろうか。いのちの尊厳を無視した死が地上から消える日が来るだろうか。
愛したい。愛されたい。そう、生きたい。全身で。全力で。

いつまでも「この日」を忘れるな。
無関係などではないのだ。私たちのいのちは多くの犠牲の上に成り立っている。
被害者であり、そして紛れもない加害者である、私たちを、思い出さねばならない日なのだ。
背負う十字架を。生きるということの持つ輝きを。



戦後62年今もどこかで爆撃の夜  
BGM:祈跡〜in album version〜/RADWIMPS

2007.08.15 Wednesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#飛ぶための羽根を持たないから、飛ぶ努力をしないのは、違うだろう
「パッチギ!」を観賞する。
痛かった。すごく、痛かった。
血で血は洗えないと思う。暴力はあまりに非生産的だ。甘いと言われようとも、私は音楽や文学の力にこそ、縋りたい。結局のところ、私は救われたいのだ、いつだって。理想論しかないことを理解してそれでもやっぱり。傷つけることは傷つくことだ。誰だって傷つきたくはない。相手のナイフを受容することは絶対に、敗北とは異なる。優しいことは弱いことではないし、弱さは守ってあげなければならないものでもないのだ。
弱者のしたたかさも、同時に見せ付けられ、感じた。主人公の日本人の青年が在日朝鮮人の友人のお通夜で責め立てられるシーンがある。そのコミュニティでは彼だけが異端で、忌むべき存在だった。確かに、日本が過去に行った仕打ちは許されない。許してもらえるとも思わない。そこは、じくじくと膿ましたまま「日本人」が生きる義務を背負っている点だ。この咎を忘れることは、何よりも失礼で無礼な行為にあたる。でも。日本=彼ではないのである。それを誰より知っている人たちが。国家≠個人だと全身で認識している人たちが。言ってはならない、詰ってはならない。なんとも報われない話だ。国からの解放を何より願う人が一個人に国を背負わせるなんて。日本に非がないとは言わない。でも、彼には何一つ、責め立てられる要因がなかった。在日と呼ばれる人々がそう呼ばれる以前に個人であるようにまた、彼も日本人である以前に「彼」なのである。
そもそも、「国」とは何なのだろう。私たちを束縛して搦め捕るものの正体は。夢見がちな表現をすれば、国境は、私たちの心の中にこそある。それを痛感して、締め付けられて、どうしようもなくなる。
痛い。すごく、痛い。
だからこそ、知らなければならない。考えなければならない。
この痛みを忘れてしまわぬよう。途絶えさせてしまわぬよう。
いつの日か、根本的な治癒が叶うと信じるためにも。
*****
「在日」の彼らの青春は金城一紀の著書に詳しい。どれもおすすめだけど、「GO」はやはり別格。一読の価値あり。
2007.05.19 Saturday ... comments(0) / trackbacks(0)
| 1/2 | >>