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2011.11.25 Friday ... - / -
#趣味をめぐる冒険
趣味と言うことばの定義づけから始めてみたい。
まず岩波国語辞典第二版(1963年4月発行)によれば
「趣味:1.物事から感じ取られるおもむき。情趣。2.物事の味わいを感じ取れる能力。(それに基づく)好み。3.専門としてでなく、楽しみとして愛好する事柄。」
次いで三省堂国語辞典第五版(2003年1月発行)。
「趣味:1.そのものにふくまれる味わい・おもしろみ。2.〔実用や利益などを考えずに〕好きでしているものごと。3.〔選んだものごとを通して知られる〕その人の好みの傾向。」
最後にベネッセ表現・読解国語辞典(2003年5月発行)によると
「趣味:1.物事が持っているおもしろみ。深い味わい。2.物事のおもしろみや趣を味わえる感覚や能力。3.(専門や職種ではなく)楽しみとしてする事柄。」
とある。
私が日常的に愛用しているのはベネッセのものなのだが、今回興味深く見たのは三省堂の2番目の定義である。
私は至るところで人生の三大構成要素は活字、音楽、惰眠と言っているのだが、2番目の定義に則ってそれがそのまま趣味というジャンルに当てはまるのか、と自問してみると、明らかに違うのだ。
私は小説から新書まで大量に本を読む。しかも、読むというより食べる、と言った方が近い方法で。その行為は、既に趣味とは呼べない。活字を摂取しなければ、私は生きていけないのだ。好き、嫌いに関わらず活字がなければ私は飢える。どうしようもない枯渇を感じ、その枯渇を埋め合わせるために仕方なく自分で活字を生み出す。以前某所でも記しているが、私は文章を書くのは嫌いだし苦手だ。書かなければ生きていけないから、必要に迫られて書く。生きるため、読むし、書く。それを趣味と呼べるのか。
睡眠についてはより顕著だ。生命維持活動のために必要な行為であることは周知の事実である。
音楽は、少し異なるかもしれない。恐らく、音楽を失っても私は失われない。しかし、それはごく狭い範囲で音楽を捉えた場合だけだ。世界は音楽で満ちている。キーボードを叩く音、車の排気音、そして沈黙すらも音楽になりうる可能性を秘めている。世界=音楽という図式が成り立ってしまうのなら、音楽が失われてしまえば私までも失われる。だから私たちは音楽に寄り縋る。伊坂幸太郎の『死神の精度』という小説中ではミュージックが人間の生み出す最も(そして唯一の)美しいものである、となっていた。
生きる、という明確な利益を求めて行う行為は、趣味とは言えないような気がする。
しかしながら、音楽の論法でいけばあらゆる芸術は世界で有り得る。それは多くの場合で趣味と言われるものを包括する。
私は世界が好きだ。また、その世界に生きることを無条件に愛している。
つまりは、私の「趣味」は、「生きること」そのものになるのかもしれない。
2007.11.04 Sunday ... comments(0) / trackbacks(0)
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